2021/10/17

スプーン製作。

 


4年ほど前から、スプーンを作り始めて。

それから地味に地味に、折を見てコツコツと。スプーンを作る。


当初は右も左もわからないので、

とりあえず自分の気に入ってた既製品のスプーンをコピーするところから。

でも出来上がるのは、見た目にもブサイクで使い勝手もよくないモノばかり。

コピー元のスプーンにはるかに及ばない。


これではイカン。

モノマネはもういい。自分の欲しい形、サイズで作ろう。

コピーをやめて、ただ自分が欲しいスプーンを作り、

ときにはお客さんの要望に合わせて作る。


ようやく自分なりの形、満足いく作品ができるようになった。

数年かかったけど、これがマイスプーン。と思えるモノが作れるようになった。


で、ふと気づく。

自分で考えて、生み出したスプーンと思っていたモノが、

一番最初にコピーしてた既製品のスプーンに形がもうそっくり。瓜二つ。


自分で大笑いしたあとにちょっと感動した。

:自分で心からいいと思ったものは、無意識下に定着する。

そしてそれは本人の知らぬ間に、タイミングをみて自ら表出してくる

:自分の考える”良いモノ”を既に誰かが作り、製品化し、世に広めている

という事実に出会えたから。



不器用にでも、見返りがすぐに返ってこなくても

とりあえず続けていればこそ。

わかることがある。て言われたな。


この仕事、本当におもしろい。

続けていれば、もっと面白いことがたくさんあるんだろうなあ。

楽しみだ。




2020/09/16

photos

i still take photos (not as a photographer) of my works.

in need of my woodworking job. 

both the moment of taking pics and the moment of viewing them, 

i often go down deep of myself. the moment i love and hate.

completely different from the moment of woodworking, kind of peaceful, i guess.


but i know, all the things i learned in my life will come together. someday.

 



最近は仕事用の写真をちょくちょく撮る。

ので、参考に以前好きだった写真家のサイトも見てみる。

昔の(写真をやってた頃の)感覚を思い出してしまって、なんかソワソワ。






あの頃は、言葉にならなかった自分の中の焦りとか妬みとか。

体のなかに湧いてくるのがなんとなく感じ取れる、今は。

今はなんとなく自分がどう感じているのか、が俯瞰的にわかる気がする。


そして、昔と同じように今もドキドキしている。


木工やってる時の感覚とは全然ちがう。


今、撮ってる写真をみてみたら

昔の写真とは違うかな。なんとなく。






















なにをやるにせよ、やってること考えてることは

いつか一つになる、と。


誰かに言われた言葉をずっと噛み締めてる。


死ぬまでにひとつになるといいなあ。



2020/05/21

appreciate what you have now.

3月 暗鬱な日々がつづき
4月 気分がおちこむ


世界中がそうなのだろう
と同時に
世界中になんとかせねば、と
思うひとびともいる。


ならばいまの自分になにができるのか、
と考え出す余裕ができて
アイデアがひとつふたつと浮かぶごとに
気が晴れていく。

自分がいま欲しいもの、
『せめて食事の時間くらいは心から安らぎたい。
あと微細でもいいから刺激。』
を作ろう。


カフェでキッチン用品の展示販売会。
早い方がいいだろう。
準備できてないけど。

歩き出して走り出して息が切れて。
それでも数ヶ月ぶりに、生活してる実感が。

動き出してからも
思い悩む時間が増える

自分の行動は正しいのか。
自分の思いはすこしでも伝わるのか。

とりあえず今、悩んで考えるきっかけと時間がとてもありがたい。

今あるものに感謝。

ああ、ひさしぶりに思い出した言葉。









2020/01/12

patience ?


我慢する、という事。

我慢する事でなんらかの益が得られるなら、進んで行えばいい。

でも我慢という行為自体に意味はない。

『自分を苦しめるだけの苦行は無益である。』

とブッダも言ってた。



少なくとも自分の経験上、自分と合わない環境に無理して居残る必要はないと強く思う。

個人的には、新しい環境に移った方が結果うまくいく事が多かった。楽しい事も多かった。

一般的な状況として、そう簡単にいかないケースも多々あると思うけれど。

ただ、逃げる投げ出すという選択肢(権利)は常に持っておいていいと思う。


もちろん、自分は我慢はできる。一応、体育会系の環境で育ってるし、自分と合わない写真の世界で10年以上やってきたし。


ただ、我慢しませんという言動は、

なぜかこの国では

『自由でいいですね』『アーティストですね』

と皮肉まじりに揶揄される事が多い。



我慢を美徳とする精神に、個人的に異論はない。

ただ他人の忍耐美徳を押し付けられると、自分には関係ないですと言いたくなっちゃう。





























だってシンドイだけやもん。ワシ、知りまへんがな。



自分にとって何が大事で何が大事でないか。

見極められたら、不要なものは捨てた方がいい。

その方が楽やし。

重荷を抱える事は、シンドイだけやもん。




2019/11/27

a way to live my life

this is my life

im really into my work, not my ex-work.

and into skateboard, woodworking. truly.


so,

please dont mess it around

  cause i dont give a thing about your words.

  cause i respect your world.







写真を撮るという事から離れて数年。

離れた理由として

:いろいろ写真の世界でシンドイことも続き、やってられなくなった。

:心からやってみたいと思える事(木工)に出会えた。

:そもそも、写真は本当にやりたい事を見つけるための、単なるツールであった。



写真から木工へ














写真から木工に切り替えて、ほんとによかったと思う。

*物を作る
*自然と繋がれる

小学校の卒業時に木彫りの彫刻家になりたい、と言った自分にとって

このふたつが同時に経験できるという事は、なくてはならないもの。

精神安定に欠かせないものになっている。




昔、仕事として写真を撮ってました、と人に言うと

”せっかくやってた写真を捨てるのはもったいない” ”なぜ辞めたのか”

シタリ顔でたしなめてくるエライ方もいる。

まあ、そんな無神経な方々にはめんどくさいんで理由など説明しない。してあげない。




ただ、最近写真関係の人に会って話をしていると

『また写真撮ってみようかなあ』

と思ってしまう事も増えてきた。



世界の物事のリアルな描写

問題提起

自分自身の表現手段


ハッキリと渇望しているわけでもないのに、

それでも自然に興味がわくのはやはり自分のリアルな欲求て事なのか。
















”やったエエがな。”

ここ数年の格言(笑)を、お隣の犬にも言われた。

2019/05/03

農業元年




数年前に、あるイベントでオリーブの苗木をいただいた。

その頃より、植物を育てる楽しさと難しさと喜びを学んでいる。


いま、広大な畑を借りることができたので、その一部を耕しつつ苗を植えている。

苗木はもちろんそれ以外の、畑の中の生命がとても愛おしく面白い。

クモ、ミミズ、オサムシ、よくわからない虫たち。





草の根。

土の匂い。

鳥の声。

隣の畑の作物の匂い。

近所のオバちゃんの声。

とにかく、にぎやか。
 
 
自分なんかいなくても、世界はこんなにも騒がしくて生き生きとしてる。

そしてそんな時に、自分は生きていると実感できる。

あー、海の上にいるときとまったく同じ感覚。(もしくは波にのまれた時の感覚)

土も空も海もよくわかんない虫も、全部溶け合って自分と一緒やなという感覚。

とても嬉しい感覚。
 
 
 
時々、日暮れどきには畑の中に座り込んでビールを頂く。

山に沈む夕陽を見ながら、畑に自分が溶け込みそう。

来世は枝豆になれるかな。










2018/07/08

このデリカシ




先日、実家に帰った際に借りてきた本。
『羊と鋼の森』
ほんの10数ページしか読んでいないけど、とても面白い。良い。
繊細な、言葉にしにくいデリケートな世界を見事に美しく繊細な言葉にしている。
そしてそのデリケートな世界を自分も常々感じているのでこの小説に共感できるし、今の自分の感覚をもっと磨いていかんとなあと思える。

 
自分はデリケートな人間であると思う。(というか、全ての人がデリケートなんだと思う)

デリケートであること。
写真の仕事を始めてから(今の木工の仕事になってからも)、常に意識する。
いい仕事をしよう、いいモノを作ろうと思うなら自然と神経が繊細になる。
”ええ宮大工になろ思たら、普段の生活から細かいところに気を配れるようにならんとアカン”
と、奈良の宮大工の棟梁(西岡常一)も言ってた。(と思う)


自分はドンくさい人間なので、
仕事のときだけ繊細に、とはいかない。
なので必然的に普段の生活から細かいことに気を配る(ようになった)。
作業が終わったらキレイに片付けてから家に帰る。
洗濯はなるべく晴れた日に。
日本酒の飲み残しは冷蔵庫へ。


でもなぜか、この国では繊細であること、デリケートな人間、
が否定的にとられるような気がする。人間的に弱い、とか。
飲み屋でからんでくるおっちゃん達は
たいがい、”俺は適当。ワシはええかげんや。”とアピールしてくる。
知らんがな。


私の敬愛する人々はみなデリケートで傷つきやすい人たち。
そして、常にそんな繊細な自分を認識し、繊細さを精錬させている。はず。
この小説を読んで、自分は今のままでいいんだと思えた。
そして、さらに気持ちを精錬させていこうと思う。
今より良いもの作るために。