2018/07/08

このデリカシ




先日、実家に帰った際に借りてきた本。
『羊と鋼の森』
ほんの10数ページしか読んでいないけど、とても面白い。良い。
繊細な、言葉にしにくいデリケートな世界を見事に美しく繊細な言葉にしている。
そしてそのデリケートな世界を自分も常々感じているのでこの小説に共感できるし、今の自分の感覚をもっと磨いていかんとなあと思える。

 
自分はデリケートな人間であると思う。(というか、全ての人がデリケートなんだと思う)

デリケートであること。
写真の仕事を始めてから(今の木工の仕事になってからも)、常に意識する。
いい仕事をしよう、いいモノを作ろうと思うなら自然と神経が繊細になる。
”ええ宮大工になろ思たら、普段の生活から細かいところに気を配れるようにならんとアカン”
と、奈良の宮大工の棟梁(西岡常一)も言ってた。(と思う)


自分はドンくさい人間なので、
仕事のときだけ繊細に、とはいかない。
なので必然的に普段の生活から細かいことに気を配る(ようになった)。
作業が終わったらキレイに片付けてから家に帰る。
洗濯はなるべく晴れた日に。
日本酒の飲み残しは冷蔵庫へ。


でもなぜか、この国では繊細であること、デリケートな人間、
が否定的にとられるような気がする。人間的に弱い、とか。
飲み屋でからんでくるおっちゃん達は
たいがい、”俺は適当。ワシはええかげんや。”とアピールしてくる。
知らんがな。


私の敬愛する人々はみなデリケートで傷つきやすい人たち。
そして、常にそんな繊細な自分を認識し、繊細さを精錬させている。はず。
この小説を読んで、自分は今のままでいいんだと思えた。
そして、さらに気持ちを精錬させていこうと思う。
今より良いもの作るために。




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