やりたいことできて、
好きなことを仕事にできて、
自由人で、
いいですね。
と言われると苦笑いしてしまう。
好きなことを仕事にできて、
自由人で、
いいですね。
と言われると苦笑いしてしまう。
この仕事は確かに好きだし、自分にむいてると思う。
でも、好きなことをやってる、という意識はない。
仕事としてやってみて、好きになってきた、という感じ。
人生を自由に生きている、という認識なんて全くない。
子供の頃から、若い頃から、
自分自身と周囲とのギャップに翻弄されて。
息ができないような苦しさを抱えて(その苦しさにすら気づいてもいなかった)
なんとか社会とか世間とか世界とかの中で生きようとしてきた。
ここしか行き場が、生き場が、ないと思ってた。
その苦難の結果の連続が、はたから見ると自由に見えるということか。
自分の生きづらさの痕跡が、他人には『自由』に見えるというのもなんか皮肉な話。
自分の生きづらさの痕跡が、他人には『自由』に見えるというのもなんか皮肉な話。
がんばらないといけない、
我慢してこそ、
no pain, no gain
悩んで焦って考えて頑張ってきたけど
やっぱり、我慢やがんばり第一の人生は、自分には必要ない。
成長、進化、精錬は
楽しいから好きだからこそ。
好きこそ上手なれ。
辛苦、忍耐、努力は他者からの評価にすぎないし
本人には無意味だ。
嫌なら辞めていい。
我慢しつづけるくらいなら捨ててしまっていい。
やりたいことがないならそれでいい。
日々の生活を楽しく、
環境に感謝して、
過ごせたらそれで十分だ。
ああ、こういう思想を自由と呼んでるのか。世間のあなた方は。
ああ、こういう思想を自由と呼んでるのか。世間のあなた方は。